第8回セミナー(日本語)

The 8th Leslie’s Seminar

(Translated by Miho)

日期:2007.03.31
地點:香港九龍灣國際展貿中心演講廳
主辦:哥哥香港網站

Part I

講題…..The Idea of Leslie—想像張國榮
主持…..馮應謙(大學教授)
講者…..林沛理(文化評論人)

初めに

馮應謙:

数年前にここに立って、レスリーについて話した事を覚えています。本日来場頂いた人数も、あの時と同じ位多く、非常に嬉しく思い、また感動しております。

本日のテーマは《The Idea of Leslie 想像張國榮》ですが、何を話そうと言うのでしょうか?レスリーが私たちの元を去って数年たちますが、学術的な観点からみると、私たちに何を遺したのでしょうか?“想像張國榮”または“継続張國榮”と言う時、結局のところ何を続けようと言うのでしょうか?これが本日、林沛理(Perry・Lam)氏が探っていかれるテーマです。まずはご紹介しましょう。林氏は文化評論家であり、《亞洲周刊》に多くの文章や映画評を執筆しておられ、哥哥に関する文も、もちろん書かれています。そのうち《張國榮的生與死》という文章がインターネット上で広く知られ、別の題名で英語、日本語、イタリア語などに訳されています。後の質疑応答の時間に、この文章の観方について質問もいただけます。

では本日のゲスト、林沛理さんをお迎えしましょう。

レスリーは概念としての生命を得た。

林沛理:

本日皆さんが、私をゲストとし、テーマを与えてレスリーについて話しをさせるのには理由があるでしょう。私個人としては、レスリーを知りません。彼の仕事仲間ではなく、彼に歌詞を書いた事もなく、共に映画を製作したこともありません。今日私がレスリーを語る資格を持っているとすれば、彼に関する文章を書いた事があるからでしょう。あの日から約二週間して《亞洲周刊》に書いた《他以苦痛経験真情演出》です。この文章は発表後、大きな反響を呼びました。裏話ですが《亞洲周刊》は真面目なニュース雑誌で、レスリーの逝去後特集を組みました。その時、彼が同性愛者であることばかり論評していると、批判されたとの事で、主任編集者から俳優としてのレスリーについて新しい記事を書くよう依頼がありました。執筆にかけられる時間は短く、私自身もマカオにいました。そこで2時間余で、最後の200字は口述して書き上げ、急いで印刷に回しました。これが舞台裏です。

インターネットのお陰で、この記事の広がりと反響を数多く目にすることが出来ました。その中で特に印象深かったのは、ある読者が地下鉄の中で記事を読みながら、涙が止まらなかったと書いていた事です。なぜ一篇の文章がこれほどの反響を呼ぶのか?なぜ今日になってまで、皆さんにお話しする機会が与えられるのか?レスリーが私や皆さんに何を意味するのか?

私にとって“張國榮”はある一つの“Idea=概念”です。ある心躍り、魅力ある概念です。更にレスリーが一つの概念として人の心を躍らせ、私の記したもの、あの記事が人を興奮させるのは、例えレスリーがすでに去っていても“The Idea of Leslie”つまりはレスリーが一つの概念として、一つの観念として動き出したという事です。新たに生まれ変わったということです。

生前にはレスリーについて意味のある、深みのある評論はごく僅かでした。俳優としては重鎮としても扱われず、歌手としてはアイドルと見られるというのが、生前の状況でした。逝去後、彼の演技という芸術、歌のテクニック、舞台表現がやっと深く研究されるようになりました。レスリーはその逝去後に一つの概念として、一人のアーティストとしてやっとスタートを切れました。これがまさに“彼の生命を継続する”という事です。評論や研究、文章において、人を興奮させる元でもあります。そしてこれは現実を否定する力も持ち得ます。彼の逝去は変えようがありませんが、しかし彼が遺したものからは、常に新しい発見がある。これがレスリーの遺したものに触れたり、レスリーを語る時にわくわくする理由です。

本当らしさの表現者

林沛理:

概念としてのレスリーについて、重要な点をお話しましょう。私は、レスリーの個人的な事は皆さんにお話しできません。もちろん私は、偶然レスリーを見かけたことはあります。香港は狭い場所ですから。しかし意義あるのは私人としての彼や、日常でどんな出会いがあったかではありません。表現者としての彼こそが意味を持っています。これは公平な事でもあります。彼は基本的に、一切全てのものを聴衆と観客に与えてくれました。必ずしも同僚の様に、彼と触れ合う必要はありません。これが最も興味深いところで、あるいはレスリーのもつ最大の意義かもしれません。

まずは“authenticity本当らしさの演技”について話しましょう。彼が演技者である事は、否定のしようがありません。“演技”の意味は、彼は舞台上で、その舞台が銀幕であれ、ステージであれ、あるいはロケセットであれ、常に演技していたという事です。公の場所でレスリーを見かけた時、彼は演技しており、表現していました。“演技、表現”とは、つまり、彼は皆の欲するものを演じていたという事です。整理すると“演技”とは“偽”のものです。しかしレスリーがアーティストとして最も興味深く、貴重で尊ぶべきなのは、彼は演技しながらもそれを“真である”様に感じさせたことです。

レスリーは香港だけでなく、世界的にも数少ないアーティストの一人です。彼は本能的に、演技と“真”の関係を理解していました。“演技”は虚構ではなく、空(くう)から作れる物ではない。俳優が役になりきって演じ、共鳴を得て作るものである。俳優の演技の資源となるものは、正式な演技の訓練を受けた事ではありません。演技とはただ単純に創作と想像を言うのではなく、演技の本質とは想像と同時に、思い出に頼る部分が大きいのです。演技を深める過程で、彼はそれまでの体験を再び体験しました。往々にして不快な記憶も辿る事になったでしょう。レスリーの演技が人を感動させるポイント、それは彼が役を想像し、なりきるだけではなく、想像すると共に、自分の記憶の中の経験も引き出して演技を再構成したことです。これがレスリーの映画では非常に印象的です。また演技上でなく、単なるインタビューであっても、私はテレビでのインタビューを見たのですが、単なるトーク番組でした。ほとんどの人がただおしゃべりや、義理を果たすため、若しくは、自分の新作を宣伝する為に出ていました。誰もレスリーの様に、自分を観客にさらけ出す事をしませんでした。彼は本音を語っていました。ある時、マギー・チャンとレオン・カーファイも出ていました。マギーは自分を守る事を良く分かっていましたが、レスリーは個人的な事まで話しました。トニー・レオンと共演した時「トニーはクールな人だから、親しくなるには、その方法を知ってないと」と言いました。見ていてこれは彼の本心だと分かりました。観客や彼のマネージャーは、そんな事言わないで、と思ったでしょう。共にスターであるのに、どうしてレスリーだけが懸命にトニーの友情を求めている様なのだろう?これはレスリーが友情を必要とする人、どんな仕事上の付き合いであれ、どんな仕事環境であれ、私生活でも友人を必要とすることを表しているでしょう。このように“友情のために命がけ”と言う時、彼の心は寂しさに満ち、また彼が“熱い”ハートを持っていると分かります。

人を感動させる弱さ

林沛理:

私が先ほどお話した“本当らしさ”の他にも、レスリーと密接に関係する概念があります。それは“弱さの露呈”です。レスリーの弱さは、傷つきやすいところにあります。ラジオ、テレビ、映画やコンサートで見聞きしてもらえれば、彼が非常に傷つきやすい人だと分かるでしょう。有名になった後でも、彼は以前に冷たくあしらわれた事や侮辱、そして幼い日の事を話し、傷つきやすい事を印象付けました。こういった弱さはスーパースターには、余り見られません。他のスターはカッコ良い面しか見せません。香港で成功を収めたスターは、皆生き延びた人、サバイバーです。それぞれが生き残るテクニックを身につけています。レスリーももちろん身につけていたでしょうが、彼が奇特なのは、傷つきやすい心を残していたこと、そして嬉しくない事を口に出してはばからなかった事です。私はこれがこれほど多くのファンが、依然レスリーを慕う原因だと思います。彼を高嶺の花と思いながら、しかし言わせてもらうと、もしただ高嶺の花とだけ思っているのなら、レスリーに対してこれほど深い愛情を抱かなかったでしょう。彼が去って何年も彼を慕い続けることはなかったでしょう。あなた方はレスリーを手の届かない人と思うと同時に、レスリーのある部分が自分に似ている、自分と非常に近いと感じているはずです。その中で、全世界のファンがレスリーを好きになっている理由、それこそが“弱さ”です。社会に対する甲冑(かっちゅう)を脱いで、人も寝静まった夜、無理に自分を装う必要もなく、職場や学校に行く必要もなく、タフである様に装う必要のない時、実際は我々は弱いものです。レスリーはなんと、独りでもなく、深夜でもない時に、いつでも自分は弱い存在だと言えました。これは天賦の才能です。そしてただ性格の特徴というだけでなく、天与の才があるからこそ、この優れた資質を芸術に変えられ、演技に取り込むことが出来たのでしょう。

彼の演技の“本当らしさ”も同様に貴重です。今の芸能界では、多くの人が宣伝機械に過ぎず、作られたアイドルです。彼らが歌、演技、ファンと会う、全ては手段に過ぎません。名を成し、有名になり、お金を稼ぐという目的の、一つの手段である事が明らかです。まるでプラスチック製品の様です。全ての人は人間であり、人間性も持ちあわせていますが、芸能界というところでは保身を図らざるを得ません。そして多くの場合、観客もファンも、幻想の様なアイドル像を求めています。だから芸能人を責められません。しかしそこに真実の一面を見せようと考える人がいたら、それは得難いことです。このレスリーの“本当らしさ”と“弱さの露呈”がどれほどの人にアピールしたでしょうか!皆さんは本能で、直感的に、毎日消費されている、映画やテレビやコンサートは皆偽物と知っていらっしゃいます。“偽”の溢れた世界に、“真”が現れた。それがレスリーのもつ意義の一つです。

人間性を社会に提示して見せた

林沛理:

レスリーについては多くのことを語れます。学術的な角度からも、俳優としての演技の特徴も、彼の演技法がいかなる重要性を持つか、等等。しかし私が最も意義があると考えるのは、レスリーが一人の人間として、彼がどの様にヒューマニティ(人間性)を芸能界に示して見せたかです。これは誇張かもしれませんが、私がずっとレスリーに抱いてきた印象です。レスリーの演技を語る時、他の俳優と比較できます。例えばチョウ・ユンファ、トニー・レオン、アンソニー・ウォン等と。《覇王別姫》の女性に化した演技を、同類の作品と比較も出来るでしょう。しかし“本当らしさ”と人間性を演技に取り入れた、若しくは日常レベルにして見せたというのは、香港ではレスリーと比較できる人はいないと考えます。

本日のテーマは《想像張國榮》です。私は俳優、スター、アイドル、表現者である事すべてが重要と考えています。彼は権力を与えるための道具であり、彼は私たちに権力を与えてくれ、娯楽としてただ消費されるものではありません。時には関係が捻じ曲げられ、私たちがスターは高嶺の花だと言ったり、あるいは追っかけをしたり、CDや写真を消費するのは、これは“もの崇拝”です。いわゆる収集癖で、別の話になります。私が言いたいのは、あるアーティストの演技を観賞しても、その価値やあなたの生活において何を意味するのかという点が、粗略にされていると言う事です。《The Idea of Leslie》が指すのは実は一種の価値です。レスリーがどういった価値観を体現したか。彼が1人の人間として、1人のアーティストとして私たちの生活に、何を啓発したか。この観点から何がレスリーの持つ意義かを語る事は、なぜレスリーの表現を見聞きし、彼の作品に接する時、我々は更なる自由を感じるのか。或いは、何故勇敢に何かを追い求められると感じるのかを語る事です。これはレスリーがその表現や生き方を通じて、我々にある“価値”が重要だと伝えたからでしょう。例えば仕事に全力を尽くし、真心をもって人に対すること。そして彼の真実性です。

本当らしくあることは重要です。社会や芸能界では更に、全て“偽”が“真”より重要だと言い、観客が欲するものも“偽”で、芸能界が売るのも全て“偽”です。もし芸能界が商品を売るのなら、それは“偽物”と言う名前です。その商品は夢幻、美麗、理想等と呼べるでしょう。しかしその本質は一様に“偽”です。最も成功した芸能人、表現者は香港だけでなく、芸能界の歴史において最も偽の表現者と言えるでしょう。大勢の人を魅了し、広く崇拝され、大衆の幻想を満足させた者です。ある程度は、レスリーにもそれは可能です。彼も大衆を魅了する表現者で、多くの人の幻想、男性の幻想、女性の幻想を満足させてきました。青春時代から後に成熟してからも、多くの人の幻想を満たしてきました。これもレスリーが成功を収めた、大きな理由の一つです。最も有り難いのは、レスリーが“偽”の中に、多く“真”を加えた事です。レスリーは後期になればなるほど、多くの“真”を加え、後期には彼の“偽”と“真”は容易に見分けられなくなりました。どこまでが“真”で、どこまでが“偽”なのか。その最高潮が彼の自殺だったでしょう。皆、彼の自殺をなかなか信じず、ニュースが流れても嘘だと言っていました。

レスリーは一人の人間として、アーティストとして、“真”には市場価値があり、表現する価値、芸術的価値があると教えた点で偉大です。香港は非常に“偽”な場所ですが、レスリーの“真”は多くの人の共鳴を呼びました。芸能界と言う皆が保身を図る世界において、レスリーの傷つき易さが共鳴を呼ぶと言うのであれば、香港芸能界、香港社会はその事を考えてみる価値があるでしょう。レスリーが与えたこの教訓を、香港の芸能界や社会は、どれほど吸収したでしょうか?現在、どれほどの人がレスリーの遺したもの、芸術生命から得られる道徳教訓は何かを理解しているでしょうか?私の見るところでは、この角度からレスリーを見ている人は極僅かです。依然、女装すると本当にそれらしかった、演技が素晴らしかったなどと言っています。もちろんそれも研究に値するポイントですが、しかしもっと大きな意義があると思います。レスリーが一般の人々にどんな意味を持つか?レスリーの与えた教訓、彼の“本当らしさ”は香港芸能界に何を意味するのか?レスリーが芸術生命を通じて行った啓発を、我々は考えてみた事があるか?これがポイントでしょう。

あなたにとってレスリーは、友達のような存在。

馮應謙:

私はニュースとメディア学院(新聞與傳播学院)で教えており、“真”と“偽”の問題は、大いに関係があります。学生がDJや映画界、芸能界で働くように教えており、“偽”をするように教えている訳です。しかし真偽の話はさておいて、数日前「今度の土曜は予定がありますか?」と聞かれました。私は張國榮の追悼行事に出席すると答えました。尋ねた人は、大学という環境にいて私が教師の立場でありながら、こういった活動に出席することを奇妙に思ったようです。続けてこう聞きました。「歌影迷、最近は粉絲(ファン)とよぶようですが、何ができるのですか?」と。私は昨夜ファンについての論文を書きました。最近、他の芸能人のファンが度を越した行動をしたことを、耳にされたと思います。芸能界の偽はともかく、社会は日々移り変わっています。もし社会の真実の姿をつぶさに見たとしたら、相当に恐ろしいでしょう。教育、政治の風雨。別のレベルでは医療問題。社会で“真実”、価値のあることを探そうとするのは相当に難しいでしょう。私たちは幼い頃から人には誠実にと教えられて、正しい価値観を吹き込まれています。しかし現実にはそう言ったものはなかなか見当たらない。つまりファンが現実社会で見つけられない真、価値観、高尚な感情といったものを、レスリーを想像する事を通じて、見出す必要があったのでしょう。

林さんのお話に戻ると、哥哥のどういった面に真実性を見出せるでしょうか?感情や生き方、どういった所でしょうか?例えば《戀戦沖縄》の様な生き方。或は《覇王別姫》での性別に対する考え方。或は彼の演技にみられる中国文化についてのアイデンティティー、どの面においてでしょうか?詳しく話していただけますか?

林沛理:

今日はレスリーについての会ですが、私は彼を高く高く持ち上げ、美化し、神話化し、レスリーは高尚な精神をもっている、若しくは気高い人だというつもりはありません。私は共鳴する事があり、また想像もできます。なぜ私たちがレスリーの映画を見たり、歌やインタビューを聴いたりする時、或は彼の印象、彼と関係のある事からは、皆、自由になった様な、或いは自らを解放する様な感じを受けたり、深い満足感を得られるのか?その満足感の源は彼の弱さ、傷つき易さにあります。

私は彼と知り合いではありません。ただ外から見て、距離を隔ててみただけです。どこから見ても彼は成功した人です。香港の最も俗な標準から言うと、彼は香港のスーパースターであり、彼と同等の地位にいるスーパースターは何人もいません。彼はあれほどハンサムで、演技でも歌でも成果を挙げ、完全に成功という定義に当てはまっているようです。これだけ有名な、セレブ中のセレブ、著名人中の著名人です。しかしこんな世俗的な定義での成功した人と言ってしまえば、彼の不愉快、楽しくなかった幼い日も簡単に崩れてしまいそうです。私たちは彼の憂鬱、様々な事に悩まされていた事、また子供の頃の辛い記憶を忘れられなかった事、性について選択を貫くという苦難の選択を知っています。またインタビューや話の合間に流れる寂寞感から、友達を必要とし、認められる事を必要としている印象を受けます。彼が人を感動させる時、それは人気が出た後にも、かつてのコンサートで、観客が帽子を投げ戻したことを、怒りをもって語り、依然辛く思い出す様な時です。彼は私たちと何も違いがありません。私たちは毎日挫折感を味わい、理想を追い切れず、鬱々として志を得ず、失恋し、父母は理解してくれず、兄弟姉妹と喧嘩をします。

こういった事を程度の差こそあれ、レスリーに見出せるのです。彼にはこういう特徴があり、感動を呼びます。演技をしていなくても、簡単なトーク番組であれ、人を感動させられます。どれでも良いのでインタビューを見直して下さい。どれも感動的で、映画の演技で人を感動させるレベルに達しています。しかもそれがなんと演技ではないのです。

彼のこの特徴は、少なくとも他の香港芸能人の中には見出せません。レスリーは自分を高嶺の花から日常レベルに引き下ろし、生活に合う人間にしました。高嶺の花では、人を感動させられません。レスリーを神格化し、高嶺の花と言うのは、お世辞でもありません。高嶺の花でいるだけのアイドルは、人を感動させられません。人を突き動かし、心と心の交流ができてこそ感動を呼べます。レスリーが好きな人は、ただ彼のファンと言うだけでなく、皆、何かに懸命になっている人だというのは、興味あるトピックです。レスリーは皆さんにとって、結局のところ手の届かないアイドルでしょうか?一人のスーパースターでしょうか?彼を友達にしたいと思っているでは?若しくは、すでに親友になっているかもしれません!

人と親密になる天賦の才能

林沛理:

実際の生活の中には居らず、映画、歌、テレビ、ラジオ等のメディアを通じてのみ知っている。それなのに彼はあなたの親友と感じさせるなら、彼の持つマジックはただ彼をアイドルとする見方より強力です。どの人もこのマジックを使え、自分を友と感じさせられる訳でありません。レスリーがあなたや私たちに与えた意義を分析するなら、レスリーはそういった能力をもち、それは天が与えた才能だと思います。私はGift to Intimacyと呼んでいます。人と親密な関係を築く天性の才能で、誰もが持っているものではありません。アイドルでなくても、自分の友達でもこの能力を持っている人が、何人いるでしょうか?幸運であれば幾人か出会い、少し話す機会があるかもしれません。あなたはその人を長年の友達で、あなたの事をよく理解している様に、非常に近しく感じるでしょう。これは一種の才能です。普段なかなか出会えません。しかも雲の上のアイドルならば更にです。

もしアイドルを親しく感じるとしたら、そのアイドルの“親密になる才能”は相当に優れていると言えます。レスリーは確かにその能力を持っており、この能力は彼の弱さ及び“真”によるものです。学術界は彼がこの才能をどのように芸術に転化し、彼独特の演技の一要素としたか、さらに研究を深めて欲しいものです。これは非常に興味深いテーマです。彼の歌、演技を除き、彼はこの天性の才能を持っていましたが、その事にはほとんど注目されませんでした。

なぜ、レスリーだけなのか

馮應謙:

今からご来場のファンの皆さんと、お話したいと思います。どんどん手を上げて、発言して下さい。洛楓さん何かあれば、先にどうぞ。

洛楓:

今日は何も準備をしていません。純粋に聞きに来ました。林さんのお話を伺い、面白い説を思い出しました。林さんは先ほど哥哥の“本当らしさ”と“弱さの露呈”に言及されました。私も哥哥のある種の天賦の才能は、他の演技者にはあるとは限らないと考えます。彼は自分の性格を昇華させて、芸術あるいはイメージ、観客が想像し、その場に身を置いたり、転化したりできる可能性に創り上げました。性格は皆持っていますが、我々には彼のような能力がありません。これが林さんが仰る、“想像張國榮”という事だと思います。

また別の観点から言うと、私は表現者やアーティストがファンを引きつける場合、その人はファンと共通する特徴をもっていると考えます。日常生活において、私たちはコミュニケーションできない人に出会います。彼等とは“チャンネルが違い、キーが違う”のです。レスリーと“キーが同じ”であれば、何らかのものを共有できます。私はずっとファンクラブとレスリーの関係に、関心を持ってきました。ご存知の通り、あの二年間になくなった芸能人は一人だけではありませんでした。では何故、毎年二回の哥哥の追悼活動はずっと活発で、絶えることなく続いているのでしょうか?ある人に「いつになったら終るの?」と聞かれ、私は「彼を偲ぶ人がいるうちは、いつ終るか分からない」と答えました。すると続けて「亡くなった人は何人もいるのに、何故レスリーだけなの?」と聞かれました。この理由は分かります。先ほど林さんも仰いましたが、レスリーは超越しているからです。時間、空間、そして生死の境を超越しています。我々はまだ存在し続け、彼も同様に存在していると感じています。イベントに参加する度、哥哥と親しく触れ合う様です。多くの人が理解していませんが、それは問題ではありません。私も馮教授と同じような体験をしました。パブティスト大学(浸會大学)から移ったばかりの頃、私がファンクラブのイベントに参加するのに、著名人や教授と会食しないのは何故?と言われました。

彼らはこの活動が、他の活動より重要な事を知りません。想像も出来ないでしょう。彼らは「あなたは教師でしょう?」といいますが、教えることは私の一部に過ぎず、哥哥の言を借りると「自分は何者にもなりえる」のです。もし選択を迫られたら、私は哥哥のファンである事を選ぶでしょう。皆さんもこういった事を経験されたと思います。他所の人には分かりません。毎年参加したい。中には外地から来る人もいる。身近な人でも友達でも、理解出来ないでしょう。彼等が分からなければ、分からない程、我々は頑張り続けます。この場にこれほど多くの“理解されない人”が集っているのですから、お分かりでしょう。

馮應謙:

そちらの方、手を挙げられましたね。どこからいらしたかと、哥哥との関りをお話ください!

観客一:

私は深圳から来ました。まず林先生、馮教授、洛楓女史、この会にご参加下さりありがとうございました。先ほど林先生のお話を伺い、私もある部分そうだと感じました。私は70年代に生まれました。80年代の香港音楽界は熱気に溢れていましたが、その時は気に留めていませんでした。しかしレスリーが引退後、彼の映画を観た後、突然表現しがたい感覚に捉われました。この人は、遥か遠くにいるようでいて、側にいる様でもある。遠くにいる友達の様に感じ、ただのスーパースターの様ではありませんでした。私を支え、困難を乗り越える力をくれる様で、まさに林先生が仰った、彼の魅力なのだと思います。もちろん今でも私は、まだその不思議な力が何か十分に理解出来ていません。林先生が今回の講演でこの現象の一部を説明して下さり、とても感謝しています。

レスリーと言う概念は、他の概念に勝っている。

観客二:

こんにちは!私は広州から来ました。ゲストのお二人、林先生と、馮先生には哥哥の魅力、魅力の元を解説して下さり、ありがとうございます。私は70年代に生まれました。80年代哥哥が人気絶頂の頃、その頃の事でラジオを聴くしかなく、哥哥の歌は良いと知りながら、熱中するまでには至りませんでした。熱狂したのは、哥哥が楽壇を引退してからです。私も徐々に成長し流行文化を意識し始め、視野も広がってきました。本を読み、商業ベースでない映画に注目し始めました。《欲望の翼》《覇王別姫》を見て、私が驚いたのは、これほど西洋ナイズされた人が、伝統文化の人を引き付ける魅力を十分表現できる事です。あの時の彼は、崇拝される位置にいたでしょう。

林先生は哥哥の逝去は、ブームの最高潮だと仰いました。私はその前の絶頂は《パッション・ツアー》だと思います。7年たっても、コンサートは依然、時代の先端を行っています。彼はアーティストとして、新しいものを模索する責任を果たしていました。私はI love Leslieとは言えません。しかし I adore Leslie.です。

馮應謙:

芸能人の多くはあまり追悼されることもなく、すぐに忘れ去られます。哥哥が特別なのは、引退後に商業化されていないイメージで再び登場し、その価値を更に高めた事です。“真と偽 論”と関係するかも知れませんが、商業化というのはある程度、パッケージと“偽”の特徴を表します。哥哥は“商業化されていない”イメージで、見る人に新しい概念を提示しました。彼の造形、演技、創造には、いつも新しさがありました。香港人は商業化された演技ばかりを見ていると感じます。例えば流行った曲や映画は、類似の物が何度も何度も製作されます。しかしレスリーの表現においては、どのCD もどの映画も、等しく新しいものを提示しています。これは彼が商業文化とは一線を画しているところであり、彼の真実性でもあります。

林沛理:

多くの芸能人が亡くなっていますが、最も慕われているのはレスリーの様です。公の人物が亡くなり、大変悲しく思う事も有れば、そうでもない事もあるでしょう。その理由を簡単にいうと、一人の人が亡くなると、その人はもう現実ではなくなり、一つの概念に変わるからです。つまり現実から幻想という段階に進みます。彼らは記憶の中にも存在しますが、多くの場合それよりも想像の中に住んでいます。故人という概念の競争という場合、彼等が私たちに持つ意味、彼等に対する追悼の念が、概念の競争、想像の競争を意味します。そして興味深く、エキサイティングであったり、人を興奮させる概念が勝ち抜きます。ちょうど資本主義と共産主義は共に概念ですが、最後に資本主義という概念が共産主義という概念に勝り、それゆえに香港が存在するように。

私たちがレスリーを思う時、他の芸能人を思うより、大きな満足感、興奮を得られます。これはレスリーが、どれほど多くの物を私たちの研究に残してくれたかに関係します。レスリーを語るのに、その代表作を語るだけでは不足です。だから《覇王別姫》だけでなく、彼が歌った歌まで研究します。実際には歌は芸術的角度から研究するのは、非常に難しいのですが。ここで彼のどの映画が最も感動的か、どの演技が最も成功しているかと言うつもりはありません。私はレスリーの最高傑作は、レスリー自身の人生だと思っています。彼がどの様に生きたかという。何故、一つの概念としてのレスリーを我々が研究し続けるか?何故“想像張國榮”の原動力が、他の人の場合より大きいのか?それはレスリーが我々に評価し、想像すべき一つの生命を与えてくれたからです。あなたに命を与えて、それを想像しろというのですから、その想像空間は自ら、ただ映画や何か作品を与えられるより大きくなります。これが人々がレスリーに興味を持ち、研究の余地があると感じる理由です。もし人生を概念とすれば、基本的に全てレスリーに関係する物は、取るに足らないようなものでも想像の空間があるということで、彼の人生全ては読まれるべき物となります。作品の一部分である様に。ですから彼にはただ一人の歌手として、俳優としてというに限らず、興味が尽きないのです。

複雑なものは、単純なだけよりも面白い。

馮應謙:

他の方の意見もうかがいましょう。

観客三:

馮さん、皆さん、こんにちは!私は広州から来ました。哥哥に脆弱な一面があるということは、納得がいきました。それぞれの人間は弱い一面を持っており、傷つけられる時があります。しかし哥哥はそれを解決し、勇敢に立ち向かう事を知っていたように思います。哥哥にはいろんな特徴があります。コンサートで踊り狂っていたり、映画の中でしとやかに柔和であったり、高貴であったり、時には茶目っ気を出して大きな声で笑ったり。ずっと分からず不思議に思っているのは、どうしてこの矛盾を一身上に持つことが出来るのかです。何故、人が彼を慕い続けるのかは、逝去後、彼の同僚や、知り合い、良く知らない人まで彼の熱意、心温かさを語っています。彼は生前、自分は偉大だとは言いませんでしたが、想像以上に偉大だったからだと思います。

林沛理:

また広州からの方ですか?香港のファンはどこでしょうね!

レスリーの矛盾について仰いましたが、これはとても重要です。レスリーの矛盾は、実際は“複雑さ”です。レスリーの複雑さというのは、アーティストとして、一つの概念として、もっとも興味深い点です。何故複雑なのか。それは“真”だからです。“真”なものは全て複雑です。芸能界やアイドルは単純性を売りにします。シンプルなのです。例えばあるスターは、一語でその人を表現できます。このグループは天真爛漫と言えば、売りは純真無垢なところです。クール、かっこよさやたくましさなど、歌と演出が売りを表現します。単純性は演出の秘訣です。ジュリア・ロバーツがあるイメージの代表として表現し、ブラッド・ピットは別のイメージの代表となる。シンプルな概念です。大ヒットした映画、例えば《タイタニック》もある概念を代表しています。しかし“真”の根本を構成する元素は複雑です。レスリーは矛盾を抱えていると言う時、実際にはレスリーの複雑さ、彼の“本当らしさ”を指しています。複雑である事はとても重要です。香港である程度人気を集めた作品は、どれも複雑なものです。《インファナル・アフェア》が面白いのは、この作品が他よりややこしいからです。立場も環境も込み入っています。今日、レスリーを追悼すると同時に、複雑さに敬意を表しましょう。単純でないからこそ、良いものなのです。レスリーは私たちに「複雑な物は、単純なものより面白い」と教えてくれました。

自殺は、自己の幕引きか。

林沛理:

メモを受け取りましたが、その中に質問が書いてありました。

質問のレスリーの死が、自ら人生を終らせる行動であるかについては、私はただの評論家に過ぎず、知りえることではありません。また彼の最も親しい人でも、彼はただ自殺したのか、この方法を選んで自ら幕を引いたのか答えられないでしょう。想像で話をするならば、“自ら人生を終らせた”とも考えられるでしょう。芸能界は思い通りに動けない業界です。芸能界に身を投じる事は、自分のコントロール権を他人に渡す、マネージャーや監督や、メディア出版会社に渡し、やりたくない仕事もやると言うことです。もちろんレスリーは人気を博してから、彼には能力があり、相当程度、自分で決定していたでしょう。しかし初期から彼の印象は、印象でしかないのですが、彼は非常に自己をもった人でした。彼は自分自身の支配者でした!後期にはそれが明確です。出演作品の選択、舞台での演出、自分の性的選択を公開することなど、彼は大いに自己決定権を行使していました。最後の自殺にいたって、自殺は人生最後の行動でありえ、その人に持つ意義は大きいものです。もしこれが自己決定権を表現する一つの行為ならば、想像レベルでは成り立ちますね。

馮應謙:

香港のファンの方はいらっしゃいますか?

観客4:

私は香港からです。私が後悔しているのは、彼の逝去後に好きになった事です。私は60年代に生まれ、彼からは尊大な感じをうけ、アラン・タムの方がいいと思っていました。彼の逝去後、作品を見直して深い感銘を受けました。友達にはクレイジーだと言われましたが違います。彼をすばらしいと思っているのです。彼の作品を見直すと、どの歌もどの映画もメッセージを伝えています。彼の性的選択に関しては、それで誰かを傷つけた訳ではなく、攻撃を受けるいわれはありません。彼が芸能界にいて、ずっと心を砕いて演じてきた事を評価します。ここ数年来、彼は私の一番のアイドルでした。私が死ぬ日まで、彼を評価し続けると思います。

レスリーは人生を表現している。

馮應謙:

レスリーの逝去後に彼を好きになり、尊敬しているというファンがいることが分かりました。イベントを企画している人たちの努力が、無駄ではないという事ですね。現在レスリーに再び舞台上に登場してもらうわけには行きませんが、彼を想像することには、林さんが仰ったように、時間の限界が有りません。私たちだけでなく、その下の世代、更にその下の世代も想像し、その意義や、人生において追い求めるべき価値観や文化を学ぶ事でしょう。

林沛理:

参加された方の何気ない発言からも、レスリーを簡単に言うことは出来ないと分かります。彼は簡単には言い尽くせない人です。彼の性的選択を受け入れられないとか、以前は彼が嫌いだったとか、とても好きだとか、レスリーは自分を受け入れていたとか、人は様々言います。レスリーの教訓、もしくは彼が啓発した事は、自分自身と折り合いをつけること、自分自身を受け入れる事でしょう。しかし冷静に考えると、すぐに反論したくなります。通常自殺と言うのは自分を憎むことの表現であり、自分自身を受容しきれない為に自殺します。レスリーを語る上で、多くのパラドックスに突き当たる事は避けられません。多くの矛盾、奇妙な事実です。ここがレスリーの興味深いところで、私は他のどんなスターも芸能人も、これほどの矛盾を抱え込んではいないと思います。先ほど言ったレスリーの本当らしさも、単純化する事は出来ません。何事も真実なものと言うのは、簡単に言い尽くせないのです。

レスリーは自分を受け入れていたと言います。ある程度はそうでしょう。彼は自分の性的選択を公表し、楽しくなかった幼い日のことを隠さず、自分の真実の一面を見せました。しかし彼はまた実際に自殺したのです。これはまさに人生そのもので、見るものの心を乱します。彼の矛盾と言うのは、一人のアーティストとして、舞台に天職を見出しました。しかし人生そのものも見せ続けました。彼に幻想を見出そうとしても、彼は人生を見せたでしょう。これは彼の最も魅力が尽きないところです。実際、人生と表現芸術の背後にあるものについて、成熟し、キャリアがあり、人生を分かった人たちが、何故あなたたちはレスリーを好きになるのですか?何故レスリーは、こういった人たちにアピールするのでしょうか?その一因は、レスリーがあなたに人生を提示してみせるから、彼に人生を垣間見るからだと思います!人生は本来込み入ったものです。彼が同性愛者である事を拒否する一方で、彼の事は大好きなのです。討論し、分析する上で、レスリーを単純化することは避けられませんが、しかし彼が最も人を引き付けるのは、人生と同じく、その複雑さと矛盾です。レスリーを語る場合、彼を単純化し、ラベルを貼ってはいけません。レスリーが何か一つを表現していると考えてはいけません。もしレスリーが代表しているというなら、それは“人生”でしょう。しかしこれは言い過ぎになるでしょう。アーティストとは人生を提示して見せられますが、これは非常に高いレベルの芸術だからです。

出席者の感想

馮應謙:

シンガポールのファンの意見です。英語で書かれていますので、中国語に直します。“We”という言葉で、自分たちを表していますが、80年代にはすでに追っかけていたが、深く理解していなかったのが悔やまれる。そしてこういった活動で皆がレスリーの事を知るのは大切だと言っています。

観客5:

私は亡くなってから知り、好きになりました。彼は美しすぎて、私が若い時にはあまり好きではありませんでした。特にアイドルはいなかったのですが、当時から理性的にアイドルとは“偽”という事を理解していたと思います。だから偽ものを追いかけるのは時間の無駄と思っていました。

4月1日のニュースを聞き、何故成功を収め、美しく、お金もある人が死を求めるの?と分かりませんでした。この事がきっかけで彼の資料を読み、彼は“偽”でなく“真”だったと分かりました。芸能人でありながら、あれほど人に対して誠実で、家族に責任を持ち、友達に親切で、仕事では完璧を追求できたとは信じられません。これを知ってから、私は彼の事をもっと知りたいと思いました。様々な活動に参加し、作品を見直し、ネットで資料を探し、少しずつでも彼という人に近づきたいと思っています。彼はどうしてあのような結末を迎えたのか?なぜあのように成功したのか?を知りたいと思いました。そしてその過程で、彼は本当に良い人であった事を知りました。そして私自身も彼と同じように、全ての事に最善を尽くす事を学びました。

先ほど林先生が、彼が自殺した時の考え方を仰いましたが、あまり賛成できません。私はあの時、彼を支配していたのは、レスリーではなく、当時の資料を見るとレスリー自身ではありえません。また哥哥はパッション・ツアーで「人は他の人を愛する事を知っているが、まずは自分を愛するべきだ」といいました。彼は自分の性的選択、演出における女性の扮装、ハイヒールなど、全て恥ずかしがることなく堂々とやっていました。自分でどれほどハンサムか、どれほど良い人か、どれほど正常かと言いたて、自分を愛してくれるようアピールする事はありませんでした。反対に何事にも正直で、騙そうとすることは有りませんでした。もし皆さんが彼のこの生き方を受け入れるなら、彼を愛しましょう。

観客6:

香港という非常に商業化された社会で、何故レスリーは私たちを引き付けるのでしょうか?芸能界だけでなく、誰もが仕事中にはマスクをかぶっています。しかし哥哥は非常に率直に自分の感じ方を語りました。香港は比較的開放的な場所とはいえ、著名人として、自分の同性愛を言い出す度胸は並大抵の物ではありません。皆がマスクをかぶった方が他人と付き合いやすいと感じる中、彼はあの様に正直であり、それゆえ彼はこれほど愛されるのだと思います。

観客7:

私は香港のファンです。レスリーの《喝采》を見て以来、好きになりました。先ほど林先生が、“収集癖”と仰った時、私たちは大笑いしました。哥哥の生前もあれ以後も、私たちは彼に関するものを買いあさり、本当に収集癖があります。しかし一番言いたいのは、哥哥に感謝している事です。彼のおかげで私は充実した日を送れたし、彼の歌、映画、演技は大いに楽しませてくれました。

観客8:

私はファンではありません。ファンに連れられて来ました。ここで見ると、哥哥は女性の共感を得ているようですね。女性は社会でより強い抑圧を受けていますから、レスリーを好きになる事で、内心の欲求を投射しているのかもしれません。彼の映画作品については、とてもすばらしいと思います。奨を獲ることがなかったのが、残念です。彼のインタビューを読むと、何事であれ最良のものを求めたようです。彼はそういう人なのだから、彼の同性愛がどうとか言う必要はないと思います。皆さんが彼を愛するなら、愛し続けて下さい。

観客9:

私は香港のファンで、60年代に生まれました。当時の芸能人のインタビューは、聞き良い事ばかりでしたが、哥哥はすでに本音を語っていました。性的選択については、それは彼のプライベートです。それもこれほど長い間、一人の人を思っています。他の芸能人が愛人を囲って言い訳しているのとは、違います。私の子どもも大きくなり、何故哥哥が好きなのか聞いてくるようになりました。始めは彼がハンサムだから好きなんじゃないの?彼の歌が良いの?等と言いました。以前はそうだったかもしれません。今は彼をアイドルや友達とは思っていません。彼は家族という方が近いです。彼が亡くなった時、ちょうど親戚に不幸がありました。親戚の不幸と彼が去ること、その痛みは同じでした。

哥哥の逝去に関しては、うつ病に関しての研究が、患者は発作時には体が思うようにならないと証明しています。もし適当な治療が成されていれば、彼はあんな道は選ばなかったと信じています。あの時彼は、自分をコントロールし切れなかったのでしょう。

逝去後彼を知ったとしても、残念に思うことはありません。知らない人よりは幸福なのですから。

観客10:

私は香港のファンです。レスリーは同性愛者ではないと思っています。彼はかつて女の子を愛していました。彼は愛情を尊重したと思います。そしてたまたま出会ったのが、同性だった。彼の選択を尊重すべきでしょう。RTVの《甜甜廿四味》で彼を好きになり、彼が最も輝かしい時期に、拍手と歓声を送れて自分は幸せ者だと思います。後から知ったファンより、きっと幸せでしょう。死ぬ日まで、彼を愛し続けます。

観客11:

私は後になってから知りました。80年代生まれです。中国にいて、哥哥のことはほとんど理解していません。あの時私は小学校中学年で、幼かったです。あるとき友達が昨日の夜《夜半歌聲》をやっていたと言いました。私は《火焼紅蓮寺》の様な映画だと思いました。なぜなら学校で古詩“夜半鐘聲渡客船”を習ったばかりで、古い廟で、僧侶がいて、チャンバラ映画の類だと思いました。あれが確か93年でした。高校になってから“四面楚歌”の文章を習った時、先生が聞きました。「もし覇王か虞姫を演じるのなら、誰が覇王を演じるのが一番でしょう?」私は一番に手を挙げて、レスリーが覇王をやるのが良いと言いました。先生も賛成してくれました。もし哥哥が覇王を演じたら、どんな風か、夜半歌聲ならどんな風か、想像しました。当時映画というのは《ルージュ》だと思っていました。その他はどれも映画ではないと。なぜならフルスクリーンで見たことのある映画が、《ルージュ》のみだったからです。他はVCDで見たので、映画ではないと。私が言いたいのは、彼を理解しなければ彼は遥か遠くの存在に感じられるという事です。彼に非常に純潔な印象を想像していました。まだ彼に夢中でなかったので、想像も単純で、純粋で、勝手に想像を膨らませていました。

魂を揺り動かされたのは03年4月でした。人が生きている意味、何故人は生き続けるのか?何故人は死ぬのか?自分の生は完全にはコントロールできないが、死はできます。哥哥はあの瞬間私を感動させ、その感動は今も続いています。こんなにも長い間、広東、上海、香港の朋友たちが一年に二度これほど大きなイベントを企画する。一歩一歩歩み、皆力を出し合っています。だから私はあれ以降ファンになっても、幸せだと感じます。皆本当に真心をもって事に当り、想像し、彼を愛していると思います。彼を神格化していると感じるかもしれませんが、私は愛とは信仰だと思います。彼はあなたに加護を与えてくれる。彼を思えば、彼はあなたの神になります。私は助けが欲しい時、町の中でも彼の声を聞くことがあります。空想にすぎませんが、信じるものは救われるのです。だからもし皆さんにその気持ちがあれば、彼は救いの手を差し伸べてくれるでしょう。

想像張國榮というのは、なかなか難しい事。

林沛理:

手元にあるメモは阿Wingの質問です。広州のDJによると、哥哥は自分を護る事を良く知っていた。彼に公の場に出てもらうのはとても大変だった。しかしマスコミがいない所では、とても可愛らしかった。この矛盾と彼の真実性、誠実さとはどの様な関係がありますか?

答えてみましょう。先ほどのご意見も加えると、ある問題が浮かびます。多く研究の場においては、レスリーを単純化する傾向があります。実際、想像張國榮というのは興味深いですが、困難でもあります。なぜならレスリーの複雑さと言うのが想像しがたいからです。まさに先ほどの方は「レスリーが自殺した事を受け入れられない。彼はずっと人生に積極的だったから。彼は病気だったのだろう」と仰いました。また悪霊に取り憑かれたという類の事を言う人もいます。この様に、私たちはレスリーを自分が心に持つイメージと合致させようとします。人生に前向きだったから、自殺をしない。愛を信じていたから、同性愛ではない等等と。皆、レスリーを愛するがゆえなのが分かります。

私は結局のところ、レスリーは複雑すぎると考えています。彼の興味深い点は、全てこの複雑性の上に成り立っています。ですからこの複雑性については、レスリーを愛する方がそれぞれ考え、腑に落ちる点を探す必要があります。あなたが思うのは、どの様なレスリーですか?レスリーはあなたにとって、どんな意義を持ちますか?それぞれの人は、それぞれ違ったイメージを持っており、好きな様に解釈できると思います。私自身は、レスリーのファンではないという立場から、レスリーを単純化すべきでないと考えます。彼が最も魅力あり、もっとも重要なのは彼の複雑さなのですから。一人のアーティストとして彼の最大の意義は、私たちに表現芸術、生活、そして人生の関係、そして人生と生活は本来複雑であり、一つの概念で説明出来るものではないと気づかせてくれた事です。人は矛盾しているものです。もし自分の愛する人が矛盾を抱えている事が受け入れられないのなら、あなたはその人よりも一つの概念が好きなのでしょう。

馮應謙:

時間が経つのは速いですね。本日は、皆さんにお会いできて嬉しかったです。次回にお目にかかる時にも、皆さんがまた哥哥を支持するために来られ、変わらずレスリーを愛していらっしゃいますように!

 

Part II

導賞作品…..電影《戀戰沖繩》
主持…..榮雪煙(內地導演)
講者…..陳嘉上(電影導演)

始めに

榮雪煙:

2004年4月、私が司会を務めた検討会で、まず始めに「離開不代表消失=この世を去る事は消失を意味しない」と述べたのを覚えています。“存在している事”は、いつでも感じられるでしょう。本日の午後のテーマはバカンスの雰囲気漂う物語です。《恋戦沖縄》についてです。まずこの作品のインタビューをご覧頂きましょう。

~放映~

では本日のゲスト、哥哥と《錦繍前程(恋はあせらず)》と《恋戦沖縄(恋戦。OKINAWA Rendezvous)》で合作されました、陳嘉上(ゴードン・チャン)監督をお招きしましょう。

陳嘉上:

皆さん、こんにちは。今日という機会を与えて下さり、ありがとうございます。感動しております。先ほどのインタビューは、私も見た事がありませんでした。ありがとうございます。

全ては《縁份》から始まった。

榮雪煙:

まずは陳監督に、哥哥と合作した時のエピソードや、想いについて話して頂きましょう。

陳嘉上:

《恋戦沖縄》は特別な作品です。私が哥哥と一緒に仕事をしたのは、これが2作目ではなく、実は3作目です。私たちが初めて一緒に仕事をしたのは《縁份》でした。

まずこのエピソードをご紹介しましょう。当初《縁份》の製作会社は、哥哥を出演させるつもりはありませんでした。哥哥はまだ売れておらず、《風継続吹》ヒットの前です。当時映画会社にいた小者、その一人が私ですが、他に後にレオン・カーファイのマネージャーになった余耀良、後に有名になった脚本家の阮繼志などもいました。当時私は邵氏公司(ショウ・ブラザーズ)の駆け出しスクリプターに過ぎませんでした。私たちは会社が選んだキャストが哥哥でなく別のスターであると知り、がっかりしました。シナリオを読んで、主演女優はマギー・チャンと聞いていました。それではなぜ主演男優がレスリーでないのか?私たち恐れを知らない輩は、会社の幹部の方逸華(モナ・フォン)女史を訪ねて言いました。「会社で最も若いのは私たちだ。私たちの方が、若者がどんな俳優が好きか良く知っている。どうしてレスリーを起用しないのか?」と。女史は「レスリーは人気がないから」と言いました。その時主役に予定されたスターの給与は、当時の哥哥の4倍でした。私たちは大胆にも、大きな白板を引っ張ってきて、二人の名前を書き付けました。そのスターと哥哥です。そして撮影所内のあちこちで投票を頼みました。「ヒロインはマギー・チャン。ではヒーローはどちらがいいだろう?」と。ラッキーな事に私たちの苦労は無駄ではなく、哥哥は相手の20倍もの票を獲得しました。哥哥は当時まだ無名で、売り上げの足を引っ張ると言われていたにも関わらずです。私たちの努力は実を結び、白板を方逸華女史に見せると、ありがたい事に、「皆がそう考えているのなら、それが良いのでしょう。一度賭けてみましょう!」と言って貰えました。その“賭け”は大成功を収め、私にとっても重要な意義をもちました。哥哥との初めての合作です。

私は白板を押して回った時、哥哥と面識はありませんでした。ただのファンに過ぎず、しかし歌を聞いて、将来はきっと成功するだろうと思っていました。この作品の時、不思議な事に、私は途中でスクリプターから脚本家へ昇格し、ただのスクリプターから、パートナーになりました。当時、私と哥哥とアニタ・ムイは良く脚本について話したものです。明日の撮影はどうすべきか、どう演じるべきかと。そしてこの作品で哥哥は、香港での売り上げ自己最高を記録しました。私もとても嬉しかったです。そして私たちは親友になりました。

互いの信頼あって、《恋戦沖縄》が生まれた。

陳嘉上:

2度目の合作は《錦繍前程》でした。この作品と《恋戦沖縄》には共通点があります。両方とも映画会社の創業第一作なのです。《錦繍前程》は中國星集團の作品で、当時幹部だったのは王晶(バリー・ウォン)氏でした。彼は私に会社の創立第一作を撮らせました。俳優は誰にするか聞かれたので、私はレスリーと答えました。この時は早急に取り掛かってくれとの事でしたので、もしそれほど急ぐならば、信頼できるのはレスリーとレオン・カーファイという良き友のみです。《恋戦沖縄》も似たような状況でした。百年電影公司の創業作で、この時も社長は向華強氏でした。向氏は《錦繍前程》のおかげで会社が良いスタートを切れたと考えており、私を呼んで、百年電影公司の第一作も製作するよう言いました。誰を主役にすべきかと聞かれ、私はもちろん「レスリーでしょう!」と答えました。あの時は非常に慌しく、何を題材にするかも未定でした。何を撮るかも分からないのに、記念すべき一作目を上映する期日だけは決まっていました。そこで私はすぐにレスリーに電話し、考えを聞きました。レスリーは「どんな作品?」と聞いたので、「僕の作品」と答えました。すると彼は「じゃあ、受けるよ。」と言ってくれました。

私たちは信頼し合っていました。何と言っても、未熟な頃から共に成長した仲間ですから。レスリーはよく「君がスクリプターから脚本家にならなかったら、僕のコンサートのスタッフになっていたよ」と言っていました。レスリーが《縁イ分》の撮影を終え、初めてのヨーロッパ・ツアーを行った時、私は一緒に行く予定でした。しかし香港で脚本を書く事になって断りました。その後も連絡は取り合っていました。そして彼は大スターに、私は監督になりました。哥哥はどんな役か、どんな作品かも分からず、ただレオン・カーファイとゴードン・チャンが一緒だというだけで、《恋戦沖縄》への出演を快諾してくれました。そして「僕ら3人は、時には一緒に仕事をしないと。集まったら、いつも楽しいから。」と言いました。

当時、私のパートナーで、この作品の脚本担当であった陳慶嘉は、大かがりなストーリーを考えていました。泥棒が女性と出会い、愛情が芽生えるという。それに基づき、各シーン3ページ程度で、大体何が起こるかを書きました。すでにシナリオの執筆時間はありませんでした。そして主演女優も探さなければなりません。たった3ページを読んで出演をOKしてくれる女優はいないでしょう。そこでレスリーと一緒にヒロインを分析し、もし阿菲(フェイ・ウォン)が出演してくれたらぴったりだと考えました。ご存知の通り、フェイ・ウォンはあまり出演の経験がありません。実際、以前ウォン・カーワイの作品に出たことがあるだけです。しかしレスリーは何も言わず、即フェイに電話をかけました。面白い事に、また同じ様な会話が繰り返されました。フェイは「誰の作品なの?」と聞き、レスリーは「僕が主演だけど、受けてくれる?」と言い、フェイは「じゃあ、出るわ!」と言いました。《恋戦沖縄》がすばらしかったのは、関わる人たちが互いに信頼し合い、互いのプロとしての仕事を認め合っていた事です。後でフェイに「脚本も読まず、哥哥と僕がやるというだけで、どうしてそんな決断ができたの?」と尋ねました。すると「あなたたち二人がいたら、悪い事はしないと思ったからよ!」との答えで、私は深く感謝しました。

親友とともに過ごす日々は、どんな作品よりも大切。

陳嘉上:

私と哥哥は、撮影方法について相談しました。私はウォン・カーワイ監督の映画が非常に好きです。特に《欲望の翼》の大ファンです。しかしウォン監督の様に豊富な時間やその他もないと分かっています。急いで上映にこぎつけなくてはならず、5週間しかない。5週間で出来る事を考えました。脚本を完成する時間もないため、レスリーに即興での演技にチャレンジするか聞いてみました。そして俳優に役を割り当てました。レスリーは泥棒で一所に落着かず放浪し、一人の女性を愛して側にいる事など考えません。他人に束縛されるのを嫌い、スマートで何も恐れません。彼には仲間がいて谷徳昭といいます。こちらは何でも信じ込み、泥棒をサポートし続けます。死ねと言われれば、そうしたでしょう。二人は沖縄に来て、ヤクザのボスから逃げてきた女に出会います。フェイです。それぞれの人物について、私はその性格と背景について説明し、「明日何が起こるかは、私にも分からない。明日になったら説明する。」と言いました。レスリーは「面白い」と言いました。

これは生きていくのと同じで、誰も明日何が起こるかは知りえません。毎日違った人と会いますがシナリオはなく、会えば即興で話し、脚本を取り出すまで待ってとも言いません。ですから私は、「私を神と考えて下さい。私が出会いと、その背景をお膳立てするので、後は思うように動いて下さい。役になり切ったなら、その人として生活している様に演じられるでしょう。」と言いました。例えば普段私とレスリーは出会ったら、自然とハグしますが、そんな風に自由に演じてもらいました。レスリーは「良いね、良いねえ。長い間そんな演技はしていない」と言いました。しかし実際には、これは俳優にとって大きな試練です。自分の役柄を深く理解し、自信を持ち、役について様々想像を膨らませなければなりません。ありがたい事に、レスリーとカーファイは経験豊かな俳優であり、彼らがいる事で他の俳優も自信を深められました。二人はいつも現場で他の人に「来て、来て。怖がらないで」と呼びかけていました。「我々3人は詐欺師のようだね」と、私はよく冗談を言ったものです。しかし5週間で作品を完成するという危険なゲームに挑戦しながら、私たちは楽しんでいました。途中でフェイが2週間抜ける事になり、実際彼女がいられる時間はもっと短くなりました。

毎日、前日の夜に私が明日起こることを考えるという撮影方法でした。基本となる場面を設定し、「この日この人とあの人が出会い、こういうことが起こったら、あなただったらどうする?」と話します。時には何も言わずにカメラの前に立ってもらい、自分で“ぶつかって”もらいました。リハーサルなしで演じて貰ったので、誰も相手がどう反応するか分かりませんでした。この撮影方法はとても興味深く、皆も楽しんでくれました。俳優たちも出演後セリフを覚えなくても良いと、のんびりしていました。メイキングを見れば、皆楽しんでいるのが分かって頂けるでしょう。

ある日、一生忘れられない日になると思いますが、沖縄の町に防波堤がありました。その日は早々に撮影が終っていました。レスリーと谷徳昭が防波堤で飛行機の離着陸を見て、金塊を奪おうと決めるシーンです。撮り終われば、片付ける予定でしたが、風景を撮る必要があり、助監督に撮影を指示しました。私は出演者とクルーが帰ってくるのを待っていました。するとやんちゃなフェイが、遊ぼうと言い出しました。そして考えに考え、皆さんは想像もつかないでしょうが、なんと沖縄の防波堤で「だるまさんが転んだ」をやったのです!考えてみてください。フェイ・ウォンが目を覆って、「だ~るまさんが、こ~ろんだ」と言い、振り返るとスターたちが“停止”の姿勢をしています。普段は彼等が子どものように街中で駆け回るなんて、想像も出来ないでしょう!沖縄では一定の時間になると、大音量で町中に時間を知らせます。子ども達の母が、夕食に家に帰ってくるように呼びかけているようでしたが、私たちはそれも聞かず遊びに夢中でした!《恋戦沖縄》撮影時の生活は、忘れられません。楽しい事がたくさんありました。よくなぞなぞもしたのです。これはフェイが始めたもので、彼女はなぞなぞがお気に入りでした。レスリーはいつも「嫌だ嫌だ」と手を振って、「ゴードンのところへ行ってよ」とフェイを押しやりました。歌も良く歌いました。当時フェイと、ニコラス・ツェーが付き合っていて、ニコラスもお忍びでやってきました。ニコラスがギターを弾いて、一緒に歌ったことを覚えています。

あの日々が懐かしいです。沢山の作品の中で、人生で一番大切な作品はどれか?と良く聞かれますが、私は《恋戦沖縄》と答えます。なぜなら監督として、これほど多くの出演者の信任を勝ち得る事は、そうそう出来ないからです。脚本もなく、全く計画も無いような状況で、自分が十分満足いく作品を完成できました。毎晩食事をしてから、私は戻って明日の撮影予定を書きました。時にはレスリーとカーファイも来ました。沖縄の万座ビーチ・ホテルで、宿泊客も多くなく、主なお客は私たちでした。良くカフェの閉店まで粘ってから帰りました。彼等二人も私に付き合ってくれ、翌日の事を話し合いました。予定表が仕上がっても、3人でのんびり話したり。ずっと前、3人が一番貧しかった時期、3人ともポケットにはお金が無く、街をうろついていた時代の事を話すと、レスリーはいつも「僕たち3人が長い間かわらず友達でいられ、このように映画まで製作できるのは、なかなか無いことだ」と言ったものでした。この作品は私たち3人の共作の2作目です。1作目の《錦繍前程》も、同様に楽しい体験でした。ですから《恋戦沖縄》が完成した時、哥哥は「次はどこで“恋戦”するの?」と言っていました。この作品は、私にとって、とても大切です。映画はまだ撮る機会がありますが、親友たちと過ごす日々は、どんな作品より貴重です。

特別な人には、特別な役を

榮雪煙:

監督にお聞きしたいのですが、何故《錦繍前程》で、レスリーにあの役をやらせたのですか?《錦繍前程》は、あの様な役はあまり演じていないので、哥哥の演技人生にとっても重要だと思います。

陳嘉上:

実は《縁イ分》で初めて合作した時から、彼には特別な配役をしたいと考えていました。彼は、彼自身がとても目立ち、非凡な人物です。人を惹きつける魅力を持っていて、ハンサムです。黄霑(ジェームズ・ウォン)氏が、「現代のこの都市で、洒脱な貴公子に出会うとは!」と言ったのを思い出します。彼は特別な存在で、ともかく抜きん出ています。これは彼の最大の強みであり、しかし演技においては最大の弱点でもあります。もしある観客が、一目見て「彼は好きになれない」と感じたら、彼は脅威を感じさせる存在になりえます。人はそういうものです。ものすごくハンサムな人を見ると、拒否感を持ちます。その観客を心服させない限り。《縁イ分》では哥哥が数々の悪事を働くように書きました。のっけから、騒動を起こします。私は哥哥の役は、観客が感情移入しやすい様に書いてきました。親近感を持てるようにと。しかし彼は非常に可愛いらしく、悪い事をしてもあまり責められないという特技があります。二度目の合作の《錦繍前程》では、ご存知の通り彼は大悪人です。しかし私は「恐れる事はない」と言いました。哥哥は悪事の限りを尽くしても、反省し改心すれば許してもらえます。だからあの役もその様に書いたのです。《恋戦沖縄》でも同様で、もし彼ほど可愛くなく、親近感も持てない人が演じたら、あの役は皆に嫌われるでしょう。だからレスリーで無ければダメなのです。他の俳優では演じられません。

哥哥とヴィンセント・コック 沖縄にて

榮雪煙:

では続けて、谷徳昭(ヴィンセント・コック)氏の《恋戦沖縄》の思い出をご覧頂きましょう。

谷徳昭:

陳監督から《恋戦沖縄》に出てみないかと連絡があり、出演メンバーだけを教えてくれました。そして沖縄で撮影すると。即座に「出ます!」と言いました。(大笑)これ以上何を望めましょう!美しい人たちと、沖縄というすばらしい場所に行って、出番が済んだら小麦色に肌を焼いて、数ポンドやせました。夕食はいつも美男美女と一緒で、撮影は本当に楽しかったです。苦労したのはゴードン監督と、スタッフでしょう。あの時期沖縄の天気は不安定で、光が差さないばかりか、雨も降りました。だから撮影時には臨機応変に撮影順序を調整したり、シナリオを変えたりが必要でした。スタッフは僕たちほど、滞在を楽しめなかったかもしれません。撮影後、もし監督になってと言われても、俳優でいる方が良いな!と思ったものです。

撮影方法には特に問題を感じませんでした。沖縄には面白い物がたくさんあり、良くホテルのビーチで撮影しましたが、私はゴードンに安心するよう言いました。「僕は絶対見つかるよ。ボートにいなかったら、ダイビングしているか、泳いでいるか、もしくは水上スキーしているから。」15分あれば、シャワーを浴びてカメラの前に立てます。監督がどうやって撮ろうと、問題ではありません。実際このような監督の仕方もありです。多くの監督がやっています。ゴードンは新たなチャレンジをしていました。俳優には二種類います。まずは日常的な話しか演じられない俳優。監督の脚本通りに演技はできません。例えば《監獄風雲》の出演者は、監督が望むところを指示しても、その通りにできず、自分流のやり方で演じています。そしてもう一つは、プロの演技者です。レスリーやレオン・カーファイや、フェイのような。監督が何を要求しようとも、それを演じてのけます。いや、それ以上の事も期待できるでしょう。神の啓示をつかむ法を知っていると言うか。私はゴードンは、この方法を使ったのだと思います。あるシーンの始め、終わり、中間はこんな感じ、こういう効果を出したいというと、彼らはどの様にでも演じます!私は脇役で、主役たちの演技を見て、傍らでそのオーラに浴していました。

《恋戦沖縄》の時期には突然、IQ題(なぞなぞ)が流行りました。フェイが良く知っていて、多分娘さんとしょっちゅう遊んでいるのでしょう。カーファイは熱心で、時間をかけて答えていました。一方で哥哥は、いつも微笑んで僕らが何と答えるかを見ているだけで、あまり中には加わりませんでした。他の事にもほとんど加わらず、傍らで微笑している事が多かったです!

滞在していたホテルは市街地から離れていて、時には一時間以上かかりましたが、自分の出番があろうが無かろうが、一緒に抜け出して遊びに行っていました。哥哥についてショッピングです!「Wow~!哥哥とショッピング!」彼が何を選ぶのか、何を見るのか側で見て、話をし、ゆったりとした時間を過ごしました。一緒に食事をしたり、別行動したり、時には監督と話をしたり。良く哥哥とコーヒーを飲みました。哥哥と最も親しくなった時期でしょう。深い話も出来ました。良い友達としての深い話です。

哥哥は浮かない様子でした。彼は「人に親切にしないのはまだしも、何故故意に人を傷つける必要があるのか?仕事の為なのか?僕には大きな謎だ。何故仕事の為に、他人を害するのか?」何故か分からず、憂鬱な面持ちでした。何か悩みがあったのか?多分あったのでしょう。だからある夜、カフェでこの話題になった時、どう答えて良いか分かりませんでした。またその資格もありません。哥哥は芸能界で経験豊富ですから!私に言えたのは「人は一様じゃない。中には“取るに足らない(訳注:原文「渣斗」)”人もいる。どうして彼等が、そんなつまらない事をしでかすのかは分からないけれど、もし誰かのせいで不愉快になったら、そいつは考える価値もないと思って、そんなやつ等のことで悩むことはないよ。」でした。哥哥は“取るに足らない”と聞いて笑ってくれたので嬉しかったです。彼が沈んでいる時に、喜ばせる事が出来たので。その後、私たちの話には頻繁にこの形容詞が登場し、“渣斗”と言っては笑ったものでした。

《家有喜事》の時には、《恋戦沖縄》ほど哥哥と気持ちが通わなかったというつもりはありません。哥哥の心の窓は開かれていて、本音で話せます。武術に喩えて言うなら、《家有喜事》では彼は拳や蹴りを練習していて、《恋戦沖縄》ではすでに内功の修行に入っていたでしょう。芸術だけでなく、仕事でも、生き方でも、どうやったらこんなステキな人になれるのか、自分が良く生きるだけでなく、社会のために出来る事があればと考えていました。彼はもっと純な、もっとシンプルなものを求めていると感じました。

《恋戦沖縄》の時に、私のコラムにも書いたのですが、ある夜カフェで、雨が降っていました。何故だったかいつしか“I am what I am, I am a very special kind of creation. ”という言葉について話していました。私は「この言葉は、あなたの事だよ、哥哥」と言いました。かなり長い間話したと思いますが、哥哥は「これは曲を書かないと」と言いました。数日後、哥哥は新曲《我》が出来たといい、メロディーをハミングしてくれ、私が一番目に聴くのだと言いました。後に歌詞が出来て、広東語と普通語版があります。彼は普通語版が好きだと言っていました。そしてまた口ずさんで聴かせてくれました。とっても嬉しかったです。この歌も好きですし、また哥哥が歌うと、聴かせるのです。何かの縁を感じて、嬉しく、光栄に思っていました。《我》この曲は、大好きです。そしてコンサートでこの歌を歌う時は、いつも舞台下の私の方を見てくれました。

哥哥はどんな役でも演じ切れる。

榮雪煙:

2005年のセミナーで林紀陶氏と盧偉力博士が、レスリーが演じた事のない役について、そしてどんな役が彼に合うか討論していました。今日は陳監督に、監督として、どの様な役がレスリーに最も合うのかを聞いてみたいと思います。

陳嘉上:

難しいですね。若い時のレスリーは、やはり足りない部分があったと思います。しかし《恋戦沖縄》の時期には、自分の目の前にいる彼には、もし自分が脚本家なら、思い切って何でも書くだろうと思いました。ヴィンセントが言った通り「哥哥はもう表情や動作に頼らないで、すでになり切っているから、感じた通りを演じて」います。レスリーはどんな役にでもすぐ入り込めますから、その役柄を自分のあたかも特徴の一つの様に出来たでしょう。《恋戦沖縄》の時、私は「彼がやりたい役があれば、何でも準備しよう。」と思いました。思い切って書けば、完璧に演じてくれる。そんな人です。チャレンジ精神も旺盛で、難度の高い役があれば、演じたいと言ったでしょう。だから最も合う役というのは、思いつきません。合う役は非常に多いです。彼に出来ない役があるとは思えません。《恋戦沖縄》で、レスリーとカーファイの役を入れ替えようかと考えた事があり、レスリーもおバカな役に乗り気でした。私は「レスリー、君なら絶対うまく演るだろうけど、でも周りが許してくれないんだ!」と言いました。《錦繍前程》でもすでに、周りは私を責めました。衣装が皆にとっては驚きだったのです。哥哥は最も売れていた俳優で、ドル箱スターの衣装は多くの場合、アルマーニやJoyceで買ったきれいなものです。しかしその時哥哥が着たのは觀奇洋服(訳注:Kwunkee Tailor香港の老舗。)と、廟街で買ってきたのもありました。それで良いのか?と皆思ったのでしょう。しかし意外にも、レスリーが着てみるとなかなか良かったのです。そして「髪型も時代を感じる様なのが良い?」と聞きました。私は周りに「レスリーを過小評価している。」と言いました。彼は俳優であり、役に必要な物は何か知っています。私と彼の合作の強みは、彼が受け入れてくれると知っている事です。恐れて言い出せない人もいますが、それはレスリーをステレオタイプと見ているからです。私は「レスリーをステレオタイプと見るな。彼は千変万化で、測りがたい深さを持っている。敢えて彼を起用したのは、彼はそれだけの事をしてくれるからで、私は高く買っている。」と言いました。「レスリーに小汚い格好をさせて、どういうつもり?」と言われたこともあります。しかし嬉しかったのは、あの美しいレスリーを、それだけ野暮ったい感じに出来た事です。しかしダサい格好は、レスリーの非常な努力の結果という事は、知られていません。かなり難しいです。彼を野暮ったく見せるのは!

残念ながら映画の長さの関係で、《錦繍前程》ではあるシーンを削る事になりました。編集するのは辛かったのですが。ちょっと人を食った/小馬鹿にした様な、反道徳的なシーンでした。哥哥が登場するシーンで、このシーンをバリー・ウォン監督が見て、ご存知の通りウォン監督は小馬鹿にした様な/道徳規範を離れたような作品をたくさん撮っていますが、私の肩を叩いて言いました。「自分はモラルに反していると思っていたけど、君の方が上だった!」このシーンは、レスリーが地下鉄で、あの役はしょっちゅう女の子に声をかけるのですが、美人に出会って言います。「美人さん。あなたは僕の前の彼女に良く似ているよ!」すると彼女が「そうよ。私はあんたの前の彼女よ!」レスリーは、「いつ出会ったのだろう?」と思うのですが、彼女は本当に以前のガールフレンドでした。残念ながら長さの関係で、カットせざるを得ませんでした。彼が演技中も大爆笑だったのを覚えています!彼はこんな人です。普段は物静かで、作品の中での様におしゃべりではありません。役を与えられると、すぐに自分を解放し、演じられます。彼が偉いのは、誰もが巨星はそんな役をやらないだろうという役も演じる所で、だからこそ彼は真に俳優だと言えます。

哥哥はすでに優れた監督だった。

榮雪煙:

以降は、皆さんと陳監督の交流の時間です。

陳嘉上:

メモである方が聞いています。「《星月童話》のメイキングで、レスリーが監督に色々意見を出しているのを見た。哥哥は良い監督になれたでしょうか?」

彼はもうすでに優れた監督でしたよ。《煙飛煙滅》は短いフィルムですが、彼の力を証明しています。映画俳優には数タイプいて、上品な言い方ではありませんが、力のある俳優は“老屎忽”といわれます。これは広東オペラの言い方で、力のある俳優は“尻”を持って演じても、他が“頭”で演じるよりも優れているという意味です。哥哥もそうですね。彼は監督が行う編集とカメラワークの関係を熟知している、数少ない俳優です。俳優のほとんどは理解しておらず、監督がカメラを回せば演じ、監督が指示した事のみをします。哥哥は色々試みてくれるので、時には彼の演技をカットするにしのびない事があります。彼は監督をも操ってくれると有名です。例えば彼があるシーンは重要だと思ったら、何か小さな仕草をします。気にも留めないような鼻をこすったり、髪触ったり、撮影中は気付かないほどです。編集の段階になって気付き「どうしよう!これはカットできない。カットするとつながらない」となるのです。哥哥は編集場面まで見越しているのか、監督にカットさせません。撮影テクニックと、俳優とカメラの関係を熟知しています。またリズムをつかみ、演技を理解しています。これらは監督として、非常に大事になってくる要素です。

そして強みもあります。音感やリズム感がすばらしい事です。音楽MTVを撮った経験が豊富ですので、私はいつも彼について勉強しないと、と言っていました。私は音感が無いですから。実際《恋戦沖縄》でも、浜辺の小屋でフェイと会うシーンの編集には、哥哥の意見を多く取り入れました。彼がこうした方が良いと考えて、あの編集をしたのは哥哥です。音楽が流れ始め、ジューク・ボックス、彼、フェイ・・・だから彼はすでに優れた監督でした。結局、彼の作品として映画を一作も撮らなかった事が残念でなりません。

愛を信じないラブ・ストーリー《恋戦沖縄》

榮雪煙:

では手を挙げて、ご発言をお願いします。

観客1:

監督に伺いたいのですが、《恋戦沖縄》で、ヴィンセント・コクが銃をフェイに向けて、哥哥はその銃を押し留める。しかしフェイも銃を構えて、しかもヴィンセントでなく哥哥に銃を向けるというシーンがあります。作中、フェイは前の男の束縛から逃げてきた、非情な女です。どうしてカーファイと哥哥は二人とも彼女に惚れたのでしょうか?彼女のキャラクターの設定について教えて下さい。

陳嘉上:

《恋戦沖縄》は珍しいストーリーです。ラブ・ストーリーは多いですが、《恋戦沖縄》の骨子は、愛はとても大切だけれど、生命はそれよりも重要という事です。愛情は輝かしく、美しく、皆好む。しかし愛が枯れた時、勇敢に離れて次の愛を育めますか?この様なラブ・ストーリーは少ないでしょう。私にとっても冒険でした。レスリーも「この映画は、厳密に言えば反愛情だね」と言った位です。私はそれも違うと思います。いくら非情な人であっても、心の中では愛情を欲しているものです。この作品には、愛を渇望しながら、愛を信じない二人が登場し、共に相手を信用していないが、かと言って自分自身も信じていません。私は《Pretender》という曲を使いました。なぜなら彼ら二人ともgood pretenderだからです。作中、二人は相手を愛していない様装い、「相手が自分を好きになったのだ!」というふりをしていますが、実際には二人とも相手を愛しており、矛盾が生じています。私は愛情を大切に考えていますから、この二人を書きました。市場には愛のために命を賭けるという作品が溢れている事も知っています。愛とは美しく貴重なものだと言えますが、しかし生命と、良く生きることは更に大切です。だから《恋戦沖縄》では、こういった人物たちを描きました。彼らは最後には自ら災いを招く事になりますが、それでも“ふり”を続けます。二人は戦い続け、最後に誰が勝ったのかは分かりません。実際には、二人とも負けですね。観客の皆さんは、お互い相手を愛してしまった事をご存知です。

私はただ冷静に愛情を語り、別れとは何かを軽く描きたかったのです。作品には別れの場面が多いです。ジジ・ライとカーファイの別れ、車婉婉(ステファニー・チェー)の登場。加藤雅也とフェイの別れ、加藤雅也とジジの出会い。こんな作品は少ないでしょう。普通は主人公の男女以外の役は、皆恋敵です。なぜなら周りが悪ければ、主人公の良さが際立つからです。《恋戦沖縄》は反対で、主人公男女は悪人、周りにいるのが良い人たちです。主人公たちは、友人の恋を引っかき回します。「でも大丈夫。誠実に生きていれば、傷ついてももっとよい未来に出会えるよ」という映画なのです。心を描く作品は、あまり商売向きではなく、興行収入もとても良いとは言えませんでした。映画会社はお小言を言いました。曰く「フェイ、レスリー、カーファイが出ているのに、こんな売り上げしかないのか。」私も一時は落ち込みました。興行成績を期待しすぎたからです。しかし良く考えてみて、こう思いました。私は冒険して、商業ベースでない作品を撮った。観客は作品を見て、奇妙に思うだろう。軽いタッチだが、甘い話ではない。《恋戦沖縄》を見た後、愛情について色々考えるだろう。幸せいっぱいというのではないが、愛情について多くを学ぶだろう。私は大切な事を語ったのだと。レスリーが私の肩をぽんと叩いて、「次はどこで恋戦?」と聞いたのを覚えています。その時は興行成績の事でふさいでいたのですが、私が「まだ別の所で恋戦やろうって?」と言うと、レスリーは「なんだよ。もちろんさ。こんな楽しい事を、どうしてやらないんだ?」と言いました。彼の支持が有り難かったです。レスリーはずっと、この作品は我々が撮る価値のある作品だと言っていました。自分がやっている事を信じるべきだと、と。今になって思い出すと、更に大切な事に思えます。

今あるレスリーの作品は、貴重な宝となるだろう。

陳嘉上:

このメモには、「作品中のキスは誰が設定したのか。どうして淡白なのか。他の監督はヒロインと哥哥の熱いシーンも演出しているが、どうしてそうしなかったのか?フェイが哥哥にそうされるのが、嫌だったのか?もしくは他の原因か?」とあります。

フェイこそ哥哥を恐れませんよ!理由は主には、登場人物同士の関係ですね。彼等二人は戦いの真っ只中にあり、キスというのは互角な戦闘です。このシーンではフェイが勝者です。フェイはレスリーのキスを拒んだことで、レスリーをかき乱します。もしフェイとレスリーが激しくキスをしてしまったら、後の展開はありません。そしてレスリーが「他の女は皆僕に恋するのに、この僕から去ろうと言うのか!」と考えた為に、後の狂ったような演技になるのです。キスをするかしないかの問題ではなく、フェイも気にしなかったでしょう。彼女も良い俳優ですから。彼女と哥哥はとても仲が良く、現場で見ると兄妹のようでした。ですから主には、登場人物の関係です。

榮雪煙:

本日のテーマは《恋戦沖縄》です。少なくとも《恋戦沖縄》《錦繍前程》か《縁イ分》に関係のある質問をお願いします。

観客2:

つまらないことなのですが、先ほど監督が仰った《錦繍前程》の冒頭で、哥哥が地下鉄でというシーンは、将来見せて頂けるでしょうか?

陳嘉上:

分かりません。フィルムは映画制作会社にありますから、相談してみないと。多分機会はあるでしょう。DVDの発売も考えられます。版権はまだ中國星にあるようですし。しかしNG部分はなくなっているかもしれません。確証はありませんが。

観客3:

レスリーの古い作品の中には、香港ではまだ発売されていない物があります。外国で出た物でも買える所を、監督はご存知ですか?

陳嘉上:

難しいと思いますが、心配なさらないでも良いと思います。レスリーは数多くの作品に出演しています。今あるレスリーの作品は、貴重な宝となるでしょうから、きっと発売されると信じています。レスリーは幸せですね。離れてこれほど時間が経っても、まだ多くのファンや観客に、作品を見たいと言ってもらえる俳優は、そう多くありません。レスリーの物を発掘し収集している人は絶えないので、私は完璧な物が出来ると思います。全く心配していません。

レスリーはこの様に複雑だった。

観客4:

監督は、二人が愛情を信じていないので、《Great Pretender》という曲を選んだと仰いました。哥哥が作曲した主題曲《没有愛》(訳注:原文ママ。「没有愛」=作曲Ahistrand/Bertilisson/Broman、作詞 林夕)は映画が完成してから書いたのか、それとも撮影中に霊感を得たのでしょうか?初めはそうも思わなかったのですが、映画にあわせると、この曲のフィーリングは最高です!

陳嘉上:

彼には何度も感謝しなければ。レスリーはテーマに合わせて、全ての事を考えてくれました。私は撮りたい映画の内容を説明しました。この様な反愛情の映画だと。もし普通の人が演じたら興行成績が良くないだけでなく、成功の見込みはなかったでしょう。もしレスリーが演じなかったら、この作品は成り立たなかったと思います。だからレスリーに曲まで担当してもらいました。

彼も私も、やるべき事は努力してやるタイプです。彼には「これは我々がやらなければ、誰がやる。」と言いましたが、その意味は、条件を満たさない人は、その機会もない。条件を満たす人は、やろうとしない。条件を満たす人とは、ヴィンセントが言うところの渣斗な人たち!である。私が自信を持って言えるのは、私たちは条件を満たしたにしろ、できる事には全力投球したことです。儲けや商売の為でなく。ですから哥哥も、ラブ・ソングであってこそ売れるのに、どうして《没有愛(愛がない)》なんでしょう?「これは、我々がやらなければ、誰がやる。」です。

観客5:

監督は哥哥と三度合作されていますが、その時哥哥は、それぞれ違った芸術的段階に達していました。三作品を通じて、彼の表現の成長と変化をどの様に見られましたか?

陳嘉上:

《縁イ分》では哥哥は経験豊富とは言えませんでした。しかし彼は良く話を聞き、一生懸命にやる俳優でした。当時《縁イ分》は大作ではなく、監督の黄泰来(テイラー・ウォン)氏はテレビ局出身で、《如来神掌》を撮った人です。そして《縁イ分》は歌と音楽を多用した珍しい作品です。哥哥の強みは、歌手として、その音楽センスが非常な助けとなっていることです。初めての合作以前、彼はテレビドラマに多数出演していました。私はしょっちゅう「表情が大き過ぎる」と注意しました。テレビでは表情豊かなのが良いのですが、映画では不要です。テレビのブラウン管は小さく、あらゆる感情を表現する必要がありますが、映画のスクリーンは大きく、少しの表情変化でも大きく感じ、変だと思ったり、不自然に感じたりします。普段人はそれほど表情豊かではありません。あの頃、各シーンをどうするべきかと、よく話し合ったものです。昔の香港映画では、監督は俳優がどう演じようとほとんど構いませんでした。監督はカメラをまわして、俳優にやれといえば良かったのです。そして俳優と、脚本、スクリプターや助監督に機会が与えられ、話し合いました。当時私は若かったですし、知識も浅く、同様の駆け出したちと一緒に勉強しました。

《錦繍前程》になると、哥哥は彼らしさを確立していました。彼の役は林超榮ですが、林超榮が誰か、皆さんご存知でしょう。彼は私の友達の中で、最もなりふりを構わない人です。レスリーに林超榮をやってと言うと、彼は笑って「林超榮ね。分かった。」と言い、完璧に全てを飲み込んだようでした。《錦繍前程》では何かと演技に工夫を凝らしていました。しかし《恋戦沖縄》では、もう小細工はしませんでした。すでにそういったものは不要になっており、ただ立って語らず、視線だけでも演技になっていました。これは非常に難しい事です。前に「セリフがないというのは、非常に難しい演技だ」と議論した事がありますが、ただ押し黙って座っていれば良いと誤解しないで下さい。レスリーの沈黙の場面と、並の俳優の沈黙を比べてみて下さい。レスリーの場合には、沈黙していても様々伝えている事があります。平凡な俳優の場合は、抜け殻です。震えていたり、慌てていたりするかもしれません。顔には「いつカットになるんだ?」と書いてあるでしょう。レスリーは《恋戦沖縄》の時期には、この表情を見て下さい。満足しているような、憂えているような、非常に複雑です。レスリーはこの様に重層的な演技が出来ました。《錦繍前程》では、複雑といっても見透かせる程度でした。ヴィンセントが「哥哥はいつも微笑んでいて、興味深い」と言いましたが、現場にいてもあまり話もせず、微笑みをたたえているだけでした。しかし頭の回転は速く、頭の中では色々な事を考えていたと思います。

観客6:

哥哥はとても良い人です。98年に《星月童話》の現場でサインをもらいましたが、お茶汲みのおばさんにまで優しかったです。写真を撮ってもらった時、握手して「健康をお祈りします」と言いました。ファンにとても良くしてくれました!

陳嘉上:

彼のファンに対する思いやりは、皆さん身をもって感じられたと思います。ある時撮影中にファンが数人来て、とても迷惑でした。私が「うっとうしく思わないの?いつも多くの人に囲まれて?」と聞くと、彼はいつも「もしあの人たちがこれほど煩わせてくれなかったら、僕の今日はないよ!」と言い、ファンには感謝している様でした。彼はスタッフにも同様で、皆とハグしたり、現場ではこの大スターは皆の良き友でした。

先端を走る人は、往々にして理解されない。

洛楓:

陳監督には言い難い話でしょうが、うかがいたいと思います。哥哥の演技がすばらしいのは明らかです。先ほどの演技の分析、彼の段階的変化について伺い、怒りを感じる事があります。私も映画賞の審査員を務めたことがあります。レスリーに対する奨の選考においては、いつも温度差があると言いますか、彼より演技のより劣る人が受賞していました。彼の逝去後、その芸術上の成果を評価していますが、しかし割り切れないものを感じます。審査にあたり、方針があるのも分かります。しかし何故、いつもいつもこの様に優秀で、千変万化で、どんな役でも演じてのける俳優をこの様に扱ったのでしょうか?この温度差は何でしょうか?

陳嘉上:

私とレスリーがこれほど親しいのと、仰った事には少し関係があります。レスリーが仕事をするのは、人のご機嫌取りの為ではありません。彼には目標があり、彼はよく危険を冒して、現在の段階より数歩進んだ事に挑戦しました。先端を走る人は往々にして、他の人に理解されないという現実に直面します。一般の人は観ても理解出来ません。温度差というのは、人々が見て分からない為で、賞が獲れないのも不思議ではありません。賞を与える人間が、理解できると思わないで下さい。

一人の俳優、一人の芸術に携わる者、一人のマスコミ人でも、その人生の評価や芸術上の成果は賞によって決定されるのではありません。芸術の成果とは、彼の事が長く後世に伝わる事、後々まで多くの人が彼を覚えている事。また彼がどれほど多くの人に影響を与えたか、物事の決定に影響したかでしょう。私とレスリーはいつも互いに励ましあってきました。その中で「気にするな。今分かって貰えないのは仕方ない。いつかは彼等も分かるだろう」と言ってきました。これは犠牲と言えるかも知れませんが、やると決めてさえすれば良いのです。苦難に遭ったとしても、私がレスリーに言った様に「思い通りになるよ。決めたからには、進まないと。他人が理解できるかは気にしない。後になって彼等が理解し、ついてきたらそれで良い。」のだと思います。皆さん、レスリーがかつてやった事を、他の人が真似ているのを見た事があるでしょう。彼がやった時には非難されたのですが、数年後には奇妙な事に、責めていた人も真似をするのです!こういった人は、拍手も貰えず、認められず、価値はありません。重要なのは、まさに彼がやったという事、彼が人に先んじてやったと言う事です。

《錦繍前程》の前程=前途とは

観客7:

映画を見る時には、哥哥ならどう演じるかなと想像してみます。哥哥は監督と、どの様に役作りをするかについて、話した事はありますか?

陳嘉上:

彼とは役作りをどうこうとは言いません。そんな事は話しません!私が映画を撮るというのは、人生を再現する事です。議論するのは“この人”はどんな人か?その人の人生と経歴、背景。例えば《恋戦沖縄》ではこの人は過去にこんな悪事を働いた。何故いま沖縄に来て、過去に何をしたのか?彼には友達がいるか、彼女との恋愛関係は?なぜヴィンセントの様な友達がいるのか?こういう事を考えます。完全な人間を創り上げれば、レスリーはこの人の過去に基づいて、その人の将来を創作します。もし殺人を犯したのであれば、警官に会えば後ろめたいだろうとか。もし何度も強盗したなら、いろいろな場所で盗みを働いただろうとか、警官に変装して物を盗む事も恐れないだろうとか、こういったことは全て、その人物の過去から作り出したものです。どう作るかは話しません。議論を通じて、レスリーはその人らしさを探します。もしその役がこうなら、こう考えるかもしれない。もしひどいヤツなら、例えば日本人のガール・フレンドとさっさと関係を持ち、さっさと別れる、こんなにひどいかもしれない等。こういうやり方で、どう役作りするかは言わなくても、役を渡せば自分でやってくれます。

観客8:

私は《錦繍前程》も《恋戦沖縄》も大好きです。先ほど監督が《恋戦沖縄》の構想では、軽い、アドリブでできた作品で、だからこそこの作品が出来たと仰いました。では何故《錦繍前程》では、あんな悪賢くずるい人物が主役の作品になったのですか?

陳嘉上:

《錦繍前程》では私はわくわくしていました。《縁イ分》に続いて、再び哥哥と合作ですし、カーファイトとは初めての合作でした。私たちはショウ・ブラザーズにいた時から仲が良かったのですが、ずっと機会がありませんでした。合作しようという時、ストーリーでは実際には、私たち三人を描きたかったのです。私たちの少し前の感じと言いますか。二人はあくどいヤツです。二人は《錦繍前程》の登場人物は、私の人生を3分割したものと理解していました。私のもっともずるい部分が林超榮です。良い所はカーファイで、愚かな部分は黄子華。皆「僕が君を演じている」と言って、私の悪い所をすべて役に取り込みました。この題材を使ったのは、再会したような感覚を出したかったからです。若い時に始めたばかりで何も分からず、努力してきたその過程。冷たい社会にぶつかり、多くの人と出来事に出会い、戦います。しかし依然「善良に生きるべき」と頑張ります。《錦繍前程》の物語は、相当部分が現実です。社会を動かせるとは限らない、老人ホームが売り払われるのを、思い通りに止められるとは限らないと分かっています。しかし我々は努力して、最後には良い人に戻ろうとします。《錦繍前程》は人生の最も良い時ではありません。当時香港の映画界は下り坂にさしかかっていました。当時私は行き先が心配でならず、レスリーにそう言うと、彼はいつも「そんなに怖がらないで」と言ってくれました。

私は実際非常に不安であり、毎日張り詰めて撮影をしていました。ある時現場でカーファイに「どうして顔の片側しか、ひげを剃ってないんだ?」と聞かれました。また別の時には、撮影に空き時間が出来たのでレスリーが「リージェントでお茶しよう」と言いました。そこで三人でリージェントに行ったのですが、車を下りるとレスリーが言いました。「すごく前衛的だよ。君の靴を見て!」私は片方茶色、片方黒の靴を履いていたのでした。レスリーは「君の靴と取り替えて欲しいな。きっとカッコいいぞ。」と言いました。そして「緊張しているの?」と聞きました。私は「プレッシャーが大きい。会社の創業作だし、映画市場は低迷している。97年もまだ来ていない。心配事が多いよ」と言いました。《錦繍前程》にはその不安感が見て取れますが、しかし恐れる事はない、乗り切れるだろうと努めて言っています。私の心の中では、あの老人ホームは香港でした。どうやって護れば良いか分からず、取り壊されるかもしれない。しかし恐れないで。何があろうとも、私たちは頑張って生き続けるだろう。《錦繍前程》とはこういう物語なのです。

哥哥に渡した脚本《愛情狂》

陳嘉上:

このメモには、「初めに《縁イ分》の主役に考えられていたのは誰?」とあります。言い難いですね、言ってしまうと別の人を傷つけますから。哥哥が良いなら、良いではありませんか!

榮雪煙:

陳監督。もし《恋戦沖縄》の後に哥哥と合作するのであれば、どんな役を考えましたか?哥哥はずっと、以前の自分を越えたい、同じ様な役を繰り返したくない、チャレンジしたいと言っていました。ではどんな役を選びますか?

陳嘉上:

残念でならないのですが、私はレスリーに渡す脚本を書き上げていました。レスリーが去る一ヶ月前で、彼に依頼する作品です。《愛情狂》というタイトルです。あの時私は、何故私を待ってくれなかった?なぜこの脚本を待ってくれなかった!と思いました。この《愛情狂》という作品は、全て女性というものに愛される男の話です。彼はどの様に自律し、自分をどう認識し、自分と女性の関係を考えているのか、彼は常に恋せずにはいられません。私はこの作品がとても気に入っています。ですからこの作品は取り置いて、撮影はしないでしょう。

榮雪煙:

《恋戦沖縄》は軽いラブストーリーでした。しかしあの時期、哥哥が出演した作品には重いものが多いです。《ダブル・タップ》等の、心理描写のあるものですね。

陳嘉上:

これはレスリーの、私への信頼の現われです。多くの監督が深みがあり、タフで、難度の高い役をレスリーに与え、レスリーはなり切って演じました。私はいつも「俳優は神棚に祀られてはいけない」と言います。俳優が演技を深めるのは良いですが、観客が理解できるような親しみやすさも必要です。この作品では、レスリーは意図的に自分を私の手にゆだねました。彼は私が彼を観客に見せるとしても、彼のイメージを損なう事はないと信頼してくれたからでしょう。実はこの役は非常に危険です。悪人であり、コメディーであり、彼を下品で俗っぽいとか、品格が下がるように見られかねません。私は彼の信頼に甘え、そして《錦繍前程》の経験から、彼のイメージを壊すことなく、ただ彼を更に幅広く、親しみ易く見せるようにと考えました。ある俳優がある時期に、似たような役ばかり演じていると、私は別の役に挑戦させたくなります。往々にして監督は、俳優に同じ様な役をやらせたがりますが、俳優は様々やってみたいものです。

観客9:

先ほど仰った、哥哥に渡すシナリオは、出版して、読ませて下さる予定はありますか?

陳嘉上:

あのシナリオは個人的なものです。何故レスリーを起用したかというと、彼が親友だからです。人生で想いを共有する人といえば、私は彼を思い浮かべます。彼は私を理解し、私を護ってくれるからです。役が度を越している箇所があっても、上手く収めてくれるでしょう。出版に関しては、今の段階では考えておきますとしか言えません。

観客10:

監督は、哥哥に《愛情狂》の事を話されたのですか?

陳嘉上:

話しました。《恋戦沖縄》の時にすでに話しました。

観客10:

でしたら是非出版して下さい。哥哥も喜んでくれるでしょう。

陳嘉上:

私は個人的な事も、哥哥に話していましたから、私の創作をよく理解してくれていました。

沖縄の撮影現場で、レスリーはリラックスしていた。

榮雪煙:

皆さん、哥哥の撮影時のエピソードを知りたいでしょう。もう少しお話頂けますか?

陳嘉上:

ヴィンセントが先ほど、レスリーは鬱々としていたと言いましたが、それは確かです。

榮雪煙:

パッション・ツアーをけなす報道の為でしょう。(訳注:原文ママ。 実際には《恋戦沖縄》の撮影は熱・情演唱會の開催前)

陳嘉上:

彼を悪く言う報道は多くあり、パッション・ツアーはそのうちの一つです。彼はそういった事に慣れっこになっていましたから、その為だけとは思いません。ヴィンセントが言ったように「哥哥はふと思った。彼は人に良くしているのに、友達と思っていた人が、何故彼を傷つけるのか」と。このことを話しましょう。私は非常に忙しかったので、ヴィンセントが一番長く一緒にいたでしょう。哥哥は不愉快だったとしても隠し、あまり表に出しませんでした。不愉快で鬱々としていても、それを他の人にまで感じさせたくなかったのでしょう。自分の下に付いている者にも、怒りをぶつけようとはしませんでした。私たちは長い付き合いですが、彼が怒ったのはほとんど見た事がありません。あまり良い事ではないですね。彼は強いストレスを受けていましたから、発散すべきでした。幸い《恋戦沖縄》の撮影中、彼はとてもリラックスしていました。完成してからも喜んでいました。試写会が終ってから、ゆっくり話をしたのですが、今後何をするか、今度はどこで“恋戦”するか、次の作品をいつ撮るか等も話しました。

あるシーンで面白い事がありました。ヴィンセントと樋口明日嘉が部屋の中にいて、レスリーが登場し、ヴィンセントはレスリーに展開を任せました。その時セリフが噴飯ものだったのです。ヴィンセントはレスリーが何を言うか知らず、またどう展開するかも分からず、私に「次に何が起こるのか?」と聞きました。私は「レスリーが彼女を殺すかもしれない!」と答えました。しかし哥哥は予想に反し「彼女(樋口明日嘉)に、夜食を買いに行かせた!」と言ったので、私は笑い転げました。部屋が狭いので、画面は外で見るようになっており、外にいる私は内部の状況が良く分かりませんでした。他の役たちが「彼女はどこへ行った?」と騒いでいる中、哥哥が「夜食を買いに行かせた!」と言ったので、私は椅子から滑り落ちました。後で「この後、どうやって話を続けるの!」と聞くと、哥哥は「彼女は夜食を買いに行きました、と続ければ良いだろう!」と。《恋戦沖縄》のシーンはどれも、ありのままを写しています。レスリーはいつも人を驚かせるのが好きで、私も彼がいたずらな笑みを浮かべて「どう?」と聞くのを楽しんでいました。私は哥哥のいたずらに何ができたでしょう!彼はサプライズが好きで、私は大いに楽しませてもらいました。俳優にはこういった可愛さがなければなりません。操り人形のように、やれと言われた事だけをやるのなら、自分でやった方がましです。

榮雪煙:

中国での撮影現場で哥哥と何度か会った事がありますが、彼は現場で非常に活躍している印象でした。現場中を彼一人が飛び回っているような、蝶がひらひら飛び回る様に。気持ちよいバカンスの場所で《恋戦沖縄》を撮って、その憂鬱な思いを除いては、とても楽しんだでしょう!

陳嘉上:

基本的にはとても楽しかったです。だから皆あの時のことは、懐かしく思い出します。普段は時間に追われていますから、一ヶ月強を美しい島で一緒に過ごせるなんて得難いことです。撮影は私にとっては、苦労ではありません。苦しいのは夜に明日の撮影について考える時です。哥哥は《恋戦沖縄》の間は、非常にリラックスしていました。歩いている姿からも、分かって頂けるでしょう。あの時社長たちは不満げに言いました。「君たちは楽しいだろうよ!リラックスしただろうよ!映画を見てみろ!なんとも楽しそうに撮っている!」有り難い事に、出演者たちは監督の苦しみを分かってくれました。撮影期間は非常に限られ、5-6週間しかありませんでしたが、私は俳優たちがくつろげたらと考えていました。時間が押し迫っているのに、出演者はリラックスできるというのは、なかなか無いですが。哥哥はソファにもたれて、私たちが仕事を片付けるのを見て、突然の一言で、物事をややこしくするのが得意でした。例えばフェイのなぞなぞ攻撃です。私は苦労の末、やっと逃げ出したのに、レスリーは突然離れたところにいる私を指差して、フェイに「監督に聞いてみたら!」と言ったり。脚本をどうするかでイライラしていて、なぞなぞで遊ぶ気にはなれませんでした。私はさっさと答えて逃げていたので、フェイは私に聞くのは面白くないと思ったようです。幸いにもカーファイは、問題はすぐに答えてはいけないと知っていて、じっくり答えていたので、他の者は逃れられました!レスリーはそんな時、とても寛いでいました。私とレスリーとカーファイは性格は違いますが、特に理解しあっていると言えます。レスリーはあまり話さず、カーファイが良くしゃべり、私はいつも山積みの問題について、意見を求めていました。

彼の友達になれて、幸せです。

榮雪煙:

《縁イ分》は81-82年、《錦繍前程》は93-94年、《恋戦沖縄》は2000年の作品です。あなた方はそんなに意気投合していたのに、どうして合作は、何年も経てからなのですか?

陳嘉上:

不思議な事です。例えばマギー・チャンとは《縁イ分》のあと20数年も合作の機会がありませんでした。その時マギーとも、不思議だねと言い合ったものです。数々の作品を製作していますが、ずっと合作できない俳優もいます。レスリーと合作出来なかったのは、彼がすぐに世界的スターになったからです。彼が《覇王別姫》に出演している時、私はコメディーを撮っていましたが、そんな大スターは起用できません。コメディーの予算は限られ、主に香港で売り、他の地域へはほとんど売りません。私は多産とは言えないまでも、平均一年一本は撮っています。合作の機会が巡ってこなかったんですね。

観客11:

哥哥は中国内外の本をよく読んでいたと聞いています。哥哥の後期の優れた演技は、彼が読書好きで、内外の文化の粋を吸収したことと関係があると思われますか?

陳嘉上:

読書は非常に大切です。私が知っている優れた俳優は、皆読書家です。演技をするには、たくさんテレビや映画を見るべきと誤解している人がいますが、あまり助けにならないでしょう。見たものは、全て演じられた物だからです。チョウ・ユンファがどれだけ良い演技をしようと、それはユンファの演技です。彼を真似ても、より彼に似るだけです。哥哥はたくさん本を読み、また読む本は多方面に渡っていました。これは大切です。俳優は様々想像することが必要です。本を読むと、文字を通して想像を膨らませるでしょう。それでこそ、自分の持つイメージや感じる事を創作出来ます。レスリーは本好きでした。私も彼も、カーファイも本の虫です。

《存在の耐えられない軽さ》《The Unbearable Lightness of Being》という本も、彼が勧めてくれました。愛情が非常に上手く描かれていると言って。この本と《愛情狂》は関係があります。《愛情狂》で描いているのは愛情にだらしない男で、哥哥が紹介してくれたこの本は、問題の本質を突いていると感じます。

榮雪煙:

最後に、友達としてでも監督としてでも結構です。レスリーへの気持ちをお願いします。

陳嘉上:

私は彼という友達をもって幸せです。私は人付き合いも苦手で、友達も多くありません。彼は私の数少ない友達の一人です。彼の友達になれて幸福で、忘れ難いです。今日は、彼が私に与えてくれたものは、これほど沢山あったのかと思いました。幸せです。彼と親友になれて、本当に幸福です。

榮雪煙:

本日の監督による作品鑑賞は、ここで終ります。陳嘉上監督に、もう一度盛大な拍手をお願いします。